トマスの疑い深い資産運用

30代半ばの日本人男性兼業投資家。日々勉強中です。

逆張り

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』9 証券プログラムの「してはならないこと」

9 証券プログラムの「してはならないこと」

 実践的な基本方針としては、選択した株式が見込み大でないかぎり、けっして投資してはならないということだ。単に「インカム」のための投資、「資本を運用しておくため」の投資、そして「インフレに対するヘッジ」としての投資は、完全に問題外である。

 ここも「投機」しなければならない、という大原則の繰り返し。

 これらの方針のもとでは、よく吟味したうえで儲けの可能性が大きく、明らかなリスクをもしのぐと判断される場合を除いて、どんな種類の証券も、いかなる立場でも買ったり保有したりするベきではない。リスクについては、詳細な検討が必要だ。

 「いかなる立場でも」というのはかなり強硬に感じますが、経験上も、分散しておこうとか、ただ買っておこう、という意識で買ったもので、大きな損失を出したことはあっても、大きな利益を得たことはないですね。

 投資を行う際には、単一の条件に全資金のかなりの部分を投下したとしてもリスクに見合うと思えるほど、公算が大きくなくてはならない。それと同時に、全資本からほどほどの割合を投資する場合でも、資金すベてで目標のリターンを達成できるほど潜在利益が大きくなくてはならない。

 これもよく考えるとすごい条件。やはり倍になると思えるぐらいの案件でないと検討に値しないということになりそう。

 別の表現に置き換えると、いったん十分な力を備えたら、分散投資は望ましくないということだ。ひとつか二つ、多くても三つか四つの証券にとどめておくベきだろう。資本の大部分をリスクにさらす必要をなくすため、銘柄は厳選され、買うタイミングもぴったりで、利益の可能性の非常に高いものであるベきだ。
 このポリシーに従えば、可能なかぎりベストのタイミングで最良の株だけを扱うことになる。こうすれば二つの方法でリスクを軽減できる。まず選択時に慎重になること、そして高額の現金の蓄えを置いておくことである。最少の株式に集中投資することによって、選択にかける十分な時間が確保でき、重要な部分のすべてを把握することができるのだ。

 主力のポジションは「ひとつか二つ、多くても三つか四つ」という原則は守ろうと思います。自分の場合は、見られる時間が少ないという制約から、自然とそのようにはなっていましたが。

 この方針は、分散投資を避けるばかりでなく、ときに資本を使わずに長期間保有することも含んでいる。損失の発生する平凡な投資を、利益を生み育てる特権階級に昇格させるには、割安株を探し出さなければならない。だが、それはやたらに見つかるものではない。安値のチャンスは主に、大多数の証券バイヤーが恐れて手を出さないときに必然的に訪れることも知っておくといい。
 その一方で、証券が全般的に人気で熱心に買われるときは、おのずとチャンスはなくなる。過剰投資と自信過剰という二つの「過剰」が幅を利かせる時期、優秀な投資家が自分の資本を遊ばせておくのは当然のことである。利益と収入が容易に得られそうだと侮っていると、ときに手痛い仕打ちを受けることになる。

 短期投資を推奨するこの本ですが、当然ながら長期の逆張り的な思考もないわけではないということ。ちなみにこの部分、安値が危険ということになっている明らかな誤訳があったので、原文を確認の上、2箇所だけ修正してあります。

 投資の戦いに生き残るための重要な概念は、投資家は現在より最終結果を見据えた考え方をしなくてはならないということである。個々の株や、あるグループの株の動きから、含み益を100%実現益に置き換えるのは不可能だ。そのような試みは、おのずと投資プログラム全体の破綻につながる。分別ある投資により、良い年や悪い年を通じて断続的でもそこそこの平均利益を上げることができれば、それは大した成績といえるのだ。
 ここでの議論は一見かなり投機的に思えるかもしれないが、実践ではほとんどの投資家が従っている方針に比べて、はるかに穏当で安全なものである。

 "Last Man Standing"というか、このあたりも長期的な思考そのものの気がしますね。この本の「短期」はあくまで考えずに放置することの反対(≒投機)と割り切って、「短期」と「長期」を対立するものと考えない方がよいかと。

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』3 理想的な投資は存在するか?

3 理想的な投資は存在するか?

 完全な投資対象が理論上のものにすぎないのは、想像に難くない。安全なものなどないのだ。人生のどの分野をとっても、確実なものは存在しない。ことに、現存する「投下資本」の利息を複利で払い、利益をピラミッディングできるほど世界の富の成長は早くない。ことあるごとに、破産や債務の軽減や、通貨価値の下落などで調整がなされる。いずれも、たいへん古くから行われていることだ。

 100%安全で儲かる投資が存在しないのは、永久機関が存在しないのと同じく、普遍的な原則だということ。

 長い年月、潮は寄せては返してきた。インフレで債務者層が有利になりすぎると、通常「生活費の高騰」への不満に隠された「デフレーション」への呼び声が、何らかの措置がとられるまで高まり続ける。そして債権者が優位に立つと、低すぎる物価や通貨の不足へのいら立ちとともに、「インフレーション」の気運が世論を占めるようになる。このため、大衆が「安全な投資」に出資するとき、本当は何を買ったつもりでいるのかを少しでも明確にするためには、「思惑(スペキュレート)を働かせる」必要があるのだ。
 私の言う思惑とは、言ってみれば潮の流れを読むことである。初歩的なことでは、デフレのサイクルの間は、固定金利と元利金(一種の政府の支払い保証である「現金」を含む)を保持し、インフレのサイクルの間には、いろいろな形の株式を保有することによって、購買力の維持に努めることだ。

 太線強調は元からあるもの。インフレとデフレのサイクルは初歩的かつ基本的なものとはいえ、周期が長すぎて経験から学ぶのは無理です。自分に投資が可能な期間だと、まだデフレからインフレへの移行が1回(それもまだ道なかば以下)あっただけです。

 投資にしろ投機にしろ、資本の運用を何と呼ぼうと、大多数は成功しないのだと初めから認めてしまうことが大切だ。そもそも自分に回ってきた富、さらにいえば幸福さえも、ほとんどの人はつなぎ止めておくことはできないのである。資本をうまく保つには、現代人に受けのよい社会主義的な政府が、大衆を救うためと称して課す多くのハンディキャップも乗り越えなくてはならない。

 「社会主義的な政府」というのは、今で言えば、より高福祉・高税率の「大きな政府」と考えれば、現在でもほぼそのまま通用するでしょうね。

 万人が追い求める投資方針はおのずと破綻する。したがって、資本を本気で確保し保持しようとするならば、とるべき第一歩は、「群から離れる」ことだ。

 ここ重要。投資が他の活動と根本的に違う点のひとつは、(長期的・平均的には)「多数派が結果的に正しかった」ということは絶対にないということです。「群から離れる」のは多くの活動では最後の一歩ですが、投資では最初の一歩なのです。

 必要なのは、個人主義的に考える姿勢だ。自分の利益を守るには、何がベストかを考えなくてはならない。いつの世も、成功しているごく少数の人に対して、大衆は一人当たり平均ではほとんど何も持たないに等しい。彼らはいつでも、自分の利益になると信じて、少数派から財産をもぎ取ろうとしているのだ。どれほどの額が、大した抵抗もなく着服できるものか見ものである。やがて勤勉節約も使い古され、彼らは想像上の「反社会的」方法に保護を求めるようになる。

 個人投資家がテレビに出たりすると「一般人の嫉妬を煽る効果しかないからやめて」みたいな感想をTLで見ることがありますね。個別の話にどうこうは言いませんが、歴史を考えると、無視してよいことでもないと思います。

喜多村政一『三猿金泉秘録-和歌で相場道を極める-』★★

 確かに時の試練に耐えた格言とは言えるだろうけど、すでに一通りちゃんと勉強している人に改めて推奨する感じではないかも。

30代日本人男性兼業個人投資家。日々勉強中です。
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