トマスの疑い深い資産運用

アラフォー日本人男性兼業投資家。日々勉強中です。

格言

決断力・一日一善・20マイル行進

 ウメハラの『1日ひとつだけ、強くなる。』という本は面白かったが、タイトルとなっている言葉そのものへの興味が尽きない。

 「一日一善」とか昔から言うよなあ、とか考えているうちに、意志力の観点から、いくつかの概念を統一的に理解できるのではないかと思うようになった。

 一般的に通じる安定した呼称はまだないようだが、意志力とか決断力とか精神力とか、とにかくそう言われるところのものがあって、以下のような性質を持つとする。

  • 使うごとに減衰する
  • 睡眠や休息で毎日回復する
  • 通常の限度以上に回復することはない
  • 使わなかった分を貯めておくことはできない

 そして何かを成し遂げるには、その成果に比例したエネルギーが必要だとする。

 この仮定のもとで、長期にわたって最大の成果をあげようと思ったら、毎日補充されるエネルギーを毎日きっちり使い切る、やり過ぎもやらなさ過ぎもせずにずっと続ける、以外の方法はない。基本的には。

 ある時期はずっと猛烈に取り組み、ある時期はずっと怠けている、というやり方だと、猛烈な時期のパフォーマンスはエネルギーの上限にぶち当たり、怠けている時期の力は無駄に消えていくことになるからだ。

 現実には、理屈通り行かないことはもちろん多いだろう。成果がエネルギーに比例するとは限らないし、適切なチャンスがなければ取り組んでも意味がないかもしれないし、何にやる価値があるかすらわからないかもしれない。

 しかし、現実の一側面を理解する上で価値あるモデルであることは間違いなかろう。「一日一善」等の格言や「規律ある生活」とでもいった一見古くさい精神論は、このあたりの経験則が歴史化したものなのではないか。

喜多村政一『三猿金泉秘録-和歌で相場道を極める-』★★

 確かに時の試練に耐えた格言とは言えるだろうけど、すでに一通りちゃんと勉強している人に改めて推奨する感じではないかも。

「一旦ポジションを閉じたとして、今とほぼ同じポジションを直ちに再構成するだろうか。」

0ベース思考---どんな難問もシンプルに解決できる

 今年の目標はこの問いに常にイエスと答えられる状態にするということにしよう。

 去年は、忙しさにかまけてイエスと答えられる期間がまったくなかったと思う。低パフォーマンスに甘んじるのも当然だったと言えよう。

必要は発明の母

本当に億儲けた130人の投資家がやっている究極の思考術 (別冊宝島 2404)

 このムックでもあった、テスタ氏の「モチベーション維持のためわざと高い家賃を払っている部分がある」(要約)という話。

 初めて見た時は何じゃそりゃと思ったが、よく考えたら、自分が2012年頃に真面目に勉強を始めたきっかけは、結婚して出費が激増するのが確実になったからであった。それがなかったらアベノミクスに乗れていたかどうかわからない。

 対象が何か、意識してやっているかどうかだけの違いであって、心理的なメカニズムとしては同じであるように思える。

 昔から必要は発明の母と言うが、モチベーション維持の方法のひとつとして真剣に考慮すべきなのかも。まあ自分の場合、意識せずとも出費は十分きついので当面不要であるが……。

「あなたの売ったそこが底」

 相場における「自分が売ったところが底」あるいは「自分が買ったところが天井」というのは、単なるマーフィーの法則ではなく、それ以上のものである。

 たまたまそうなるわけではなく、自分(と同じ状況にある人たち)自身が、その底や天井を作るのだ。だから、その状況に陥ることを防ぐには、二次思考をして自分自身に先んじるしかない。

 結果から逆算して考えてみよう。たとえば、下落トレンドにあるとして、「自分の売ったところが底ではない」ことになるのは、どのような時だろうか。売りが買いを上回っている中で「売る自分より後に、もっと多くの売る他人がいる」ということだ。原則的にそれしかありえない。

 自分がこの多くの他人に先んずれば、売ったところが底でなくなり、自分もそこに混ざってしまえば自分が売ったところが底になってしまう。

 つまり「自分が売ったところが底」あるいは「自分が買ったところが天井」を避けるには、自分自身より早めに投げ、自分自身より早めに買うしかない。これはもちろん自己言及で矛盾しているが、この自己矛盾こそ相場の本質であるから仕方ない。

理屈と膏薬はどこへでもつく

ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?

 古くからある格言だが、近年の知見と考え合わせるとまた別の趣がある。

 人間は多くの場合ほとんどの事柄に対し、まず直感的な・素早い・動物的な判断を下し、後にそれを理性的な・遅い・人間的な論理で正当化しようとする。そしてその正当化は実に巧妙である。

 実用上の典型的な応用例は、いわゆる確証バイアスの認識と、その回避であろう。

 ある見解が理性で正当化できるというだけで安心してはだめだ。とりわけそれが自分にとって気分や都合がいい場合には。逆の場合も同じぐらい正当化できないかどうか考えてからでないと、何の意味もない。

 もうひとつは、論理が後付けでどうとでもなるのであれば、ある意味、全ては「論理以外(以前)の部分」次第だということだ。たとえばモチベーションなどはそうだろう。私の好きな例はこのコピペだ。

月別『来月から本気を出す』

【1月】 初っ端から飛ばすと後でばてる。2月から本気を出す
【2月】 まだまだ寒い。これではやる気が出ない。3月から本気出す
【3月】 年度の終わりでタイミングが悪い。4月から本気を出す
【4月】 季節の変わり目は体調を崩しやすい。5月から本気を出す
【5月】 区切りの良い4月を逃してしまった。6月から本気を出す
【6月】 梅雨で気分が落ち込む。梅雨明けの7月から本気を出す
【7月】 これからどんどん気温が上昇していく。体力温存の為8月から本気を出す
【8月】 暑すぎて気力がそがれる。9月から本気を出す
【9月】 休みボケが抜けない。無理しても効果が無いので10月から本気を出す
【10月】 中途半端な時期。ここは雌伏の時。11月から本気を出す
【11月】 急に冷えてきた。こういう時こそ無理は禁物。12月から本気を出す
【12月】 もう今年は終わり。今年はチャンスが無かった。来年から本気出す

月別『今月から本気を出す』

【1月】年の初めだしスタートダッシュで本気出す
【2月】2月は短いから無駄にしないために本気出す
【3月】年度の変わり目だから最後の追い込みで本気出す
【4月】春は心機一転新しい環境に早く慣れるために本気出す
【5月】落ち込みやすい時期だから油断しないためにも本気出す
【6月】今は梅雨時期だからこそ他の人に差をつけるために本気出す
【7月】カラっといい天気で活力がみなぎるからこそ今まで以上に本気出す
【8月】暑さで気がたるみがちだけど折角盆休みがある今だからこそ本気出す
【9月】気温も落ち着いて活動しやすい時期になってきたしこれから先も本気出す
【10月】寒くなる年末がくる前に面倒なことは片付けておきたいと思うから本気出す
【11月】冷えてきたけど余裕のある年末をこれから迎えるために今の内から本気出す
【12月】今年の締めだからこそ最後まで気を抜かずに今年を1年にするために本気出す

(明日から本気出すとは (アシタカラホンキダスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)

 ある種の自己啓発によくある、オカルト的で非科学的に見える暗示や繰り返しの手法に一定の効果があるとすれば、理性以前の部分に、わずかながらでも意識的な働きかけができるからなのかもしれない。

相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく

テンプルトン卿の流儀 (ウィザードブックシリーズ)

 TLで『響け! ユーフォニアム』という文字列を見る度に、この格言がフラッシュバックするので、文章に書いて落ち着かせるために取り上げてみた。

Bull-markets are born on pessimism, grow on skepticism, mature on optimism and die on euphoria.

(直訳:強気相場は、悲観主義の上で生まれ、懐疑主義の上で育ち、楽観主義の上で成熟し、多幸感の上で死ぬ)

 非常に有名なので意味の説明は必要ないと思う。出典はジョン・テンプルトンではっきりしている。今気づいたが、これほど有名な人でも日本語版ウィキペディアの記事がないようだ。

 アベノミクス以来の日本の強気相場は今どのあたりだろう。懐疑から楽観に向かっているあたりだろうか。多幸感までは行っていないと思う。

 最後の「幸福感の中で消えていく」のところは、原文のdie on euphoria(多幸感の上で死ぬ)に比べて、若干インパクトが弱い気がする。ちなみに多幸感はユーフォニアムではなくユーフォリアだ。

相場で少数派が有利な理由についての考察


 このツイートを見て考えた。相場における格言として、多数派に付和雷同してはいけないとか、コントラリアン(天邪鬼)になれ、とかいうようなものがよく見られるがその理論的論拠について。

 まず極限まで簡単な思考実験。コイントスに賭ける市場を考えよう。表裏が出る確率は正確に1/2。超能力もイカサマもなし。単純に外した側の金を当てた側が取る。表裏どちらに賭けるべきか?

 「賭けている人が少ない側」だ。それ以外の答えはありえない。少数派というだけで有利なのだ。

 多少条件が複雑になっていっても本質は変わらない。確率が不平等だったりリスクリワード比が異なっていたとしても、それに応じて参加者が行動を変えるはずなので、それを加味した上で常に「少なすぎる側」に賭けることが有利だ。

 もうひとつ重要な要素は、相場での多数は線形にしか効かないということだろう。100株の買い(または売り)が2人いても、合わせて200株でしかない。当然のように聞こえるが、他の人間の活動の大半においては、そのような数字通りにはなっていない。

 たとえば1対2の殴り合いのケンカなら、多数派の有利さは2倍どころではない。少数派は普通はまず勝てない。人間の多数派に属したがる本能は、このような場合を基準にできているはずだ。

 従って、市場では、本能的に心地よい程度に付和雷同していると、我慢して冷静に計算して少数派に属そうと心がけるコントラリアンに、必ず負けることになる。

 もちろんこれは統計的・長期的・大局的な話で、絶対ではない。美人投票・正のフィードバック・単なるブレによって成り立たない場合もあるだろう。

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