トマスの疑い深い資産運用

アラフォー日本人男性兼業投資家。日々勉強中です。

投資哲学

知性のチューリング完全

 今後、脳の解明と人工知能の開発が進めば、どこかで、知性についての、計算理論のチューリング完全にあたる概念が確立すると思う。既知または予想しうる将来知りうる宇宙の範囲で最初にそれを備えたのは人類だから、仮にホモサピエンス完全とでも言おうか。

 それを人間は備えていて、他の動物・現在の人工知能は備えていないこと、それを備えたもの同士の違いは、どれほど大きくはあっても程度の問題・時間の問題であり、本質的・絶対的な差ではない――少なくともそう見なすことができる――ことが判明するだろう。

 それにより、(実際やるかどうかはともかく)原理的にも人間には絶対に不可能なことができる人工知能は作れないこと、人間より絶対的に優れた知性を持つ神とか宇宙人とかは当然ながらただのファンタジーであること、などが納得されるようになると思う。

 同時に「宇宙の真理が発見されたが、それを理解するには脳細胞が2,3個足りなかった」というようなシチュエーションは実在しえないし、いかなる努力を用いても相互理解不可能な異質の知性、といったものも存在しえないこと、などがわかると思う。

優待を使った富の世界間移転によるメンタルハック


 行動経済学でよく言われることだが、金銭を他の物品に変えてワンクッション挟むと、しばしば行動が変化する。(会社の金庫から金を盗まない人も同じ金額の備品は盗む、ギフトには現金より金券が好まれる、等々。)

 これは詰まるところ、金銭≒数字は進化的に新しすぎて、意識して抽象的な思考を駆使しなければ扱えない、ということに起因すると思われ、根本的には一朝一夕でどうにかなるものではない。

 私は、数年前から、純投資理論的にはほとんど意味のない三倍優待口座や優待クロスを、割としっかりやるようにしているが、この容易に変えられない事実を逆手に取った心理的テクニックとしてやっている面が大きい。

 で以前詳しく書いたように、投資世界と日常世界を別のものとして、それぞれの世界でのお金を同じであって同じでないと考える二重思考が、パフォーマンス上重要である。

 同時に、投資世界である程度お金が増えたら、多少は日常生活も豊かにしたいところである。でないと、そもそも何のために投資をしているのかわからなくなってしまう。

 しかし、単に出金すると、それはお金であってお金でないという、必死で保っている幻想を、ダイレクトに破壊する効果をもたらしてしまう。どうしたらいいだろう?

 そこで挟むワンクッションが優待だ。投資世界では、あくまで株の長期投資であると考え(クロスはともかく三倍優待の方は本当にそうだ)、日常世界では(お金を引き出しているのではなく)あくまで関係先から季節のギフトが届くだけと考える。

 これによって、投資メンタルも日常メンタルも狂わせずに、二重思考を保ったまま、安全に少しずつ、投資世界から日常世界に富を移転することができるのだ。

 なお、最近投資クラスタで盛んになりつつある優待警察に対するアリバイを提出しておくと、クロスはもちろん優待制度についても、以前から全否定派である。

バリュー投資家は「頭がいい」のか?

 要約すると「バリュー投資家は頭がいい」ということが言われることがある。「バリュー投資家」の代わりに「長期投資家」が入ることもある。

 事実上「短期トレーダーは頭が悪い」と言っているも同然なので、炎上とまで言わなくても論争になりがちである。

 私の意見では、この主張そのものは間違いであるが、そう言ってしまいがちになる背景となる事実はあり、それを特定することによって、無意味な論争を避けることができると思う。

 行動経済学で双曲割引という概念がある。ここで詳しく説明はしないが、時間による割引率が、高い≒近視眼的・低い≒長期的と考れば、大きな間違いはないだろう。

 そして、

  1. 時間割引率の極めて高いバリュー・長期投資家はまずいない。
  2. 時間割引率の極めて高い人間は、日常的に使われる概念では、単に「頭が悪い」と表現されることが多い。

 の2点までは、定義そのものから言っても、事実としても、現実に成り立っている関係だと思われる。

 つまり、単純に「長期投資家は頭がいい」とか「短期トレーダーは頭が悪い」と言ったら間違いである。頭の悪いバリュー(長期)投資家も、頭の良い短期トレーダーも、当然いくらでもいる。

 しかし、割引率の高さ故に「頭が悪い」と表現されるタイプの人間が、短期トレードを続けていることはあっても、バリュー投資・長期投資を続けていることはほとんどないため、観測範囲によっては、そう表現してしまっても不自然に見えない状況はありうる。

 ……ということだと思われる。

ハゲ理論:スキンヘッドと経営者資質の相関性

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 もぐりさんのツイートを見て思ったこと。

 私は、この14項目中12個まではクリアしている。そのまま実践しているか、詳細は違ってもそれに相当することを実践しているか、当てはまっていなくても貯蓄上の同じ趣旨は達成している。

 はっきり違反するのは2つのみで、ひとつは13の片働きだが、さて、もうひとつは何だろう? タイトルでバレバレだと思うが、その通り。10なのだ。

 共働きは重要ではあっても、自分だけでどうにかなる話ではないし、個々の家庭の事情も千差万別だから、仕方ない部分はある。

 でも、丸坊主にするなんてことは自分ひとりの決断で、バリカン買ってくるか1000円カットに駆け込むだけで、1時間程度でできることだ。それで生活や仕事に支障がある立場でもない。それでもできないのだ。

 要するに何が言いたいかというと、丸坊主の精神的障壁は意外と高いということだ。少なくとも低くはない。

 加齢に伴って髪が薄くなるかどうかは、性格・精神的なものと関係なく、ほぼ完全に遺伝で決まっていると思われる。(当然性格も遺伝するので、その相関はゼロとは思えないが、有意に大きいと考える理由もなさそうだ。)

 しかし、薄くなってきたときにどう対応するかは、性格によって大きく変わりうるだろう。

 髪が薄くなってきたときに、バーコードハゲのヘアスタイルにしよう、でもカツラ作ろう、でもなく、「よっしゃスキンヘッドで生活したろ!」と決断するのはどんな人間だろう? ましてや人付き合いが多く、外見も重視されるであろう、経営者という立場だったなら?

 人情やしがらみを軽視し合理性を優先する度合いが強いか、見た目など一切問題にならないような圧倒的な自信・能力を持っているか、どちらかあるいは両方ではないだろうか。少なくともそれら要素との相関は存在するだろうと、私には思われる。

 これがハゲ理論、現在のハゲポートフォリオ(最初から考えていたわけではないが)の背景にある理論的根拠である。

複利で増やせていることの重要性を実感しました

 誰とは言いませんが、最近個人投資家業界で話題のブロガーさんがいます。

 その人は、もう10年近くも毎月数十万・直近では50万ともいう凄まじい鬼入金をし続けて約5000万円の資産を持ち、金持ち風を吹かせて周囲を見下したり他人を煽ったりされています。

 恐ろしいなあと思っていたのですが、最近もっと恐ろしいことに気づきました。自分の資産がほぼその2倍もあるってことです。

(私のは金融資産だけでなく家とか家族分も入ってますが、その方は十中八九独身持ち家なしなので、頭金・ローンや扶養と相殺ってことで。)

 独身時代はともかく、結婚以来は大して入金できていないにも関わらず、です。

 自慢じゃないですが(と言わなきゃならない時点で自慢ですが)投資で曲がりなりにも毎年複利で増やせている場合と、入金だけでほとんど増やせていない場合の差が、いかに大きいか実感できます。

 複利で増やしていくことの重要性は、理論としては当たり前で、よく言われていることなのですが、やはり身近(?)な実例で体感すると全然違いますね。

 今後も、大儲けするより大負けしないで続けていくことを心がけていきたいと思います。周囲で年初来+数百パーセントとかいうパフォーマンスを最近よく見るので、自戒を込めて。グッドラック。

決断力・一日一善・20マイル行進

 ウメハラの『1日ひとつだけ、強くなる。』という本は面白かったが、タイトルとなっている言葉そのものへの興味が尽きない。

 「一日一善」とか昔から言うよなあ、とか考えているうちに、意志力の観点から、いくつかの概念を統一的に理解できるのではないかと思うようになった。

 一般的に通じる安定した呼称はまだないようだが、意志力とか決断力とか精神力とか、とにかくそう言われるところのものがあって、以下のような性質を持つとする。

  • 使うごとに減衰する
  • 睡眠や休息で毎日回復する
  • 通常の限度以上に回復することはない
  • 使わなかった分を貯めておくことはできない

 そして何かを成し遂げるには、その成果に比例したエネルギーが必要だとする。

 この仮定のもとで、長期にわたって最大の成果をあげようと思ったら、毎日補充されるエネルギーを毎日きっちり使い切る、やり過ぎもやらなさ過ぎもせずにずっと続ける、以外の方法はない。基本的には。

 ある時期はずっと猛烈に取り組み、ある時期はずっと怠けている、というやり方だと、猛烈な時期のパフォーマンスはエネルギーの上限にぶち当たり、怠けている時期の力は無駄に消えていくことになるからだ。

 現実には、理屈通り行かないことはもちろん多いだろう。成果がエネルギーに比例するとは限らないし、適切なチャンスがなければ取り組んでも意味がないかもしれないし、何にやる価値があるかすらわからないかもしれない。

 しかし、現実の一側面を理解する上で価値あるモデルであることは間違いなかろう。「一日一善」等の格言や「規律ある生活」とでもいった一見古くさい精神論は、このあたりの経験則が歴史化したものなのではないか。

長期投資もAIに置き換えられるのか?

 という記事を書いたばかりだが、長期投資も結構やばいというような記事が日経に出たらしくて、その話についても少しだけ。

 前回書いたとおり、長期投資(とりあえず「年単位」と定義する)はそう簡単にAIに置き換えられることはないし、置き換えられたとしても、そのインパクトは短期投資ほど劇的なものにはならないと考えている。

 まず「長期投資が得意」と言ったときに、

  • 遠い未来を正しく予測できる
  • 気が長くじっと待てる

 という2通りの意味を分けて考える必要があるだろう。

 1年後の天気予報を、明日の天気予報と同じように当てることはできない。単に今はまだできないというのではなく、文明がいかに発達しても未来永劫できるようにはならないと信じる根拠がある。

 それはなぜか、というところまでは、このエントリではつっこめないが、長期的な経済や株価の予測が、長期天気予報と同等以上に困難なのは、ほぼ確実である。

 要するに、遠い未来を正しく予測できるという意味での長期投資は、人間にも不可能なのだ。それができるならバフェットはちゃんとAMZNを買えているはずだろう。そして、人類にできないことはAIにもできない。

 次に、後者は、当然AIの方が得意でありうる。というか、絶対に得意だ。"sleep 100 years"とプログラム(?)すれば、群集心理にも流されず感情的ミスも犯さず、じっと待てるだろう。

 しかし、長期投資において、人間が「気の長さ」を競う相手は、AIではなくそのAIを使う別の人間であるから、AIが人間よりそれが得意かどうかは、そもそも問題にならない。

 極端な話「100年間全く儲からないが101年目から毎年倍になる超AI」が実在したとして、あなたは使うだろうか? 他の人間にそれを使われたら脅威だと思うだろうか?

 では、AIによる長期投資は全く問題にならないかというと、もちろんそういうわけでもないだろう。

 大量のデータの中から、他の人がまだ気づかない相関にいち早く気づく、というような意味での長期投資は、AIの方が得意になりうる。

 具体的に言えば、たとえばシクリカルの大型株への投資で、個人投資家が市場平均を出し抜いて儲ける余地は、小さくなっていくのではないかと思う。

 逆に、今はまだデータ化されてい「ない」データを調べるとか、今はまだ存在し「ない」需要やサービスに気づいて、それを提供しようとしている新興小型株に投資する、とかいう形の投資チャンスは、まだまだ個人投資家、というか人間の手に残されるだろう。

 たとえば、どこで見た話か忘れたが、石油タンクの写真をドローンで撮影して、写真をAIで分析して石油の需給を予測して儲けているところがあるそうな。

 この話で重要なのは画像認識AIではない。すごいのはアイデアと、実際にドローン群を運用することの方であって、ドローン+写真を見る人間の方が、ドローンなしのAIより、当然良い成績を出すだろう。

 AIが「石油タンクをドローンで撮影しまくったら石油価格先回りできるんじゃね?」というアイデアを出してくれることはない。個人でドローン群の運用は無理でも、同じようにコロンブスの卵的なアイデアと調査で市場を出し抜く余地は、まだ当分あるはずだ。

(それすらなくなる日には、どのような意味であっても、投資をする必要もなくなっていることだろう。)

 アラン・ケイ「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」という有名な言葉がある。一年後の天気を予測することはできなくても、一年後の天気をコントロールすることならいずれできるようになるだろう。

 個人投資家に求められる能力も、予測というより発明に近いものになっていくのではないか。おそらくそれは従来より難しい。その意味で、長期投資にもAIの脅威がないとは言えない。それこそ長期的に考えて対応していく必要があるだろう。

ノイズを一万時間見続けてもノイズに詳しくはなれない


 「彼」が誰のことかは「おそらく」ぐらいまでしかわからないが、今回は、特定の誰かとは関係なく、このツイートから連想した一般論として。

 最近よく「一万時間の法則」とか言われる。俗に「天才」と呼ばれるような才能は必ずしも天賦の才ではなく、時間をかけた反復練習によって、ほぼ何でもほぼ誰でも身につけられるのだ、というようなことが言われる。

 おそらく大枠において、この概念は事実として間違っていないし、努力目標としても有益だと思われるが、ひとつ重要な前提が抜けている。間違っているというのではなく、日常的には当たり前過ぎて、わざわざ意識されないという意味で。

 そもそも「やることに意味がある」という前提だ。

 ノイズを一万時間見続けても「ノイズに詳しく」はなれない。詳しくなるべき情報は含まれないからだ。それがノイズの定義だ。

 実際にホワイトノイズを一万時間見続ける人はおるまいが、ノイズ(同然の情報)と(情報理論でいうところの)情報を見分ける能力がないと、それ同然のことをしてしまうことはありうる。

 たとえば、ある種のテクニカルの「手法」の探求は、それに近いのではないか、と私は疑っている。全く何の意味も持たないというよりは、他人やAIを含めた市場平均を上回って、かけた労力をペイすることができない、という意味で。

 しかし、情報とノイズ、意味のある勉強と無意味な勉強を見分ける力は、どうやって身につければいいのか? 鶏が先か卵が先か的で、簡単な答えはないが重要な問題である気がする。

アラフォー日本人男性兼業個人投資家。日々勉強中です。
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