トマスの疑い深い資産運用

30代半ばの日本人男性兼業投資家。日々勉強中です。

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』15 株価変動、その他相場の動きの材料

15 株価変動、その他相場の動きの材料

 全体的なマーケットトレンド、とりわけ買い付けのために選ばれた個々の株式についてバランスのとれた意見を形作る材料といえば、私は断然、実際の株価変動を第一に挙げる。その理由は、過大評価だろうと過小評価だろうと、買いを決断する材料は株価だからだ。
(中略)
 理屈の上で価値のあるものだけでなく、投資家が値打ちありとみなしたものも十分考慮しなくてはならない。

 ちょっと前にも同様の趣旨の部分はありましたが、ファンダメンタルズに基づく理論上のバリューではなく、需給とかマインドとかそういうものが作るトレンドに(も)乗って儲ける、というのは自分も意識したいところ。

 関わりのあるすべての要素は、重要だろうとなかろうと相場に影響を及ぼす。加えてほとんどの状況で、相場の動き自体が買いや売りを刺激しており、その関係はかなりの正確さで、事前に予測できるほど一貫している。このような株価と出来高の変動は、分析や事前の情報をもとにしたマーケットの予測に確信をもたらすだけでなく(またはその逆)、なじみのない銘柄に要チェックの注意を促すという貴重なヒントももたらす。

 変動自体が次の変動をもたらすというフィードバックループは、未来の株価が予言できない理由のひとつ。株価変動自体が気づきのヒントになる、という視点も、繰り返しですが重要かと。

 相場の動きに影響される証券の売り手や買い手は、3種類に分類できる。
 まず一般投資家だ。この人たちは株価と出来高の大幅な変動によって、しばしば大規模な一斉買いや売りへと駆り立てられる。(中略)自分より前の売り手や買い手の行動に誘われて続々と市場へなだれこみ、自ら変動に加担したのである。最初にどれほどの利益があったにせよ、このタイプのトレーダーや投資家が、長期的には損失以外の何を得たのか疑わしい。
 2番目は、熟練したチャーチストまたはテープリーダーである。彼らは独自のスタイルを持ち、チャート上の線やティッカーテープのシンボルに見えるもののみを頼りにする。もし彼らが本当に市場の動きに基づく理論だけで結論を導き出しているとすれば、私の予想ではやはり長期的には損をすると思う。というのも、このような判断材料だけで儲け続けられるエキスパートは多くはないからだ。
 成功するタイプは3番目の、高度に専門的な解釈をこなす本物のエキスパートである。この人々はあらゆる要素に対する相場の動きをどれだけ考慮するベきかを知り、すべての要素を反映した値動きから、有利な売り買いはもちろんのこと、未熟さ、無分別、または軽卒さから交わされた約定まで察してしまう。彼は相場の動きが「強気」か「弱気」かが分かるだけでなく、その兆候の裏にある原因と力に考えをめぐらせ、それが正しいかどうかまで探ろうとする。テープに反映されると、良し悪しが分からずに杓子定規な解釈で相場の動きに執着する人々を惑わせてしまう約定がかなりあり、それらを並べると相当な時間がかかる。

 2番目と3番目の区別が一見はっきりしないのですが、完全にテクニカルしか見てない人と、それに加えてファンダメンタルズや行動経済学その他の知識も持っていて二次思考をする人、という意味合いなのかと。

 相場の動きは常に、株式の最終評価を決めるさまざまな材料から最大の影響を受けているといえる。ただし、値動きの解釈に慣れていなかったり、統計や経済指標、テクニカルな条件、スポンサー、あまり重視されていない会社の発展といった材料を疎かにしたことから、誤った結論を引き出してしまう可能性もあることを知っておくベきだ。

 ここでいうスポンサー(sponsor)は、広告主ではなく出資者のことか。

 相場の兆候を検討するうえで最も重要な点は、タイミングである。際立った強さや弱さは、相場のサイクルの異なる時期にまったく逆の意味を持つことがある。例えば、ある銘柄の強さと出来高は、全体相場の長い下落のあとに起きた場合、たいがい非常に強気の兆候になる。のちにその株の優位性にほかの主力株が追いついてきた場合は、マーケット全体の変わり目を示すシグナルになっていたはずだ。
 一方、株価の上昇が強気市場を通じて無視されていた銘柄にまで及んだあとは、出遅れた上昇機運は長続きしないばかりでなく、全体の回復期の終わりを告げるものかもしれない。特に、初期の主力株がもはや反応しなくなっていたら、その可能性が高い。動きの判断は、既報、未報のニュースにも照らすべきである。ほかでは弱さと考えられているものが、あるニュースによれば強さを示唆していたり、その逆のこともあるからだ。
 例えば、わずかな下落で起こる大きな出来高は、通常ならマーケットを大混乱に陥れるような悪い二ュースのあとならば、非常に強気のシグナルになる。逆に、たいへん刺激的なニュースにもかかわらず単に安定しているだけのマーケットは、重大な弱気の合図かもしれない。
 個々の株価は、株式市場全体の動きと連動して判断されるベきだ。先に触れたようにタイミングが有利なら、アヤ押しでわずかな下落を見せた株か、出直りで最も強く反発した株に、最大限の注意を向けるベきだ。ごく普通に強さや弱さを見せているだけの株には、特別な意味はない。

 「個々の株価は、株式市場全体の動きと連動して判断されるベきだ。」というのが要点か。個々の投資家の優位性は市場平均からの差分で考えないと意味がないのと同様に、個別株の強さも市場の状態(市況?)からの差分で考えないと意味がないということですかね。

 一般投資家がより多く参加すればするほど、結果はより正確になる傾向がある。大衆の見せる反応を正しく予測することは、熟練した観察者にとっては容易なことだろう。しかし、おそらく少数の個人やグループに独占されたプロのマーケットでは、相場の動きをありきたりに解釈したのでは、有利な結論は得られない。
 ここでも、値動きに関連するほかのことと同様、特に機敏な人間なら着実に儲けることは可能である。マーケットの特徴に照らし、参加者の少ない相場の大部分は失敗するだろうと抜け目なく見抜いて、通常の手順とは逆、すなわち強気の兆候で売りに出るか、またはその反対を行うのである。

 この部分、原文を元に少し表現を修正していますが、それでもわかりにくいです。参加者がまばらな相場(「市場」ではなく、「大相場」とか言うときの、「動き」の意味の「相場」)は、統計的に考えれば通常の理屈通りに行かないことが多い、ということかと思われます。

 そのときたまたま注目されている相場の動きに関する説――注目されていたレジスタンスポイントの突破など――の裏づけは、一時的に誤解を招きやすい。その方面のエキスパートは、このような状況には興味を示さない。ずっと以前からはるかに有利なレベルで、こんな試練の起きる兆候を察しており、かなり確かな確率でそれが成功するかどうかも分かっているからだ。このような兆候に従う気があるなら、たとえ余分な経費がかかっても第二の裏づけが得られるまで待つほうが得策だ。
 すべてのテクニカルなマーケット予測は同じ理論のもとに行われる。違いは主に、現状を正確に把握しようとするのに使われる方法である。弱めの買いや売りの兆候を図るには、鋭い洞察力が必要だということも知るベきだ。

 エキスパートは、抵抗線を試したり突破したりするのが、かなり前からわかるって、ほんまでっか?

 「大衆」の購買力は、いったん暴走が始まってしまうとほとんど予測不可能になる。彼らが結果的には大きな犠牲を払うだろうという事実は、トレンドに逆行する損を減らしはしないし、トレンドに乗れば得られるはずの利益を埋め合わせもしない。

 ここもちょっと不自然でわかりにくいと思った部分があるので、原文にあたった上で、少し表現を修正してあります。

 理論家は、ある時期のある条件ではいくら払うべきか、という個人差の大きな意見をもとに「株が高すぎる」とか「安すぎる」と主張する。しかし本当の株価は、そのときの多数派の評価が基準になっている。大衆の財布が豊かなら、とりあえず彼らの評価が優先する。もし理論家に、理論上の水準の見積りのもとで提示された株をすべて買う十分な資金があり、また同じように大量の株を売ることができるとしたら、彼らは市場価格を確立できることになるが、彼らは実際には、人々に影響を及ぼすほどの材料になることはない。

 理論家はお金持ってない、と……。(めもめも)

 要は、1932年に株価が安すぎたとか、1929年には高すぎたとか言うのは見当違いだということだ。どちらのケースも、その時点ではそれだけの価値があったのだ――それ以上でも、それ以下でもなく。実際的な見方をすれば、投資の成功に不可欠なのは、見当違いな考え方を捨て、株式を売り買いする人々の願望と能力またはその欠如に対し、ふさわしい時価評価を与えることである。

 1929年と1932年は大恐慌の前後という意味。「人々の願望と能力またはその欠如に対し、ふさわしい時価評価を与える」って、二次思考そのものですよねえ。

 読者は、利益を獲得する方程式よりもマーケットで間違いを避ける話ばかり載せていると思うかもしれない。しかし、株式投資をたやすく気軽にできるものと捉えるのではなく、最も不確実な科学なのだと気づいてほしいのだ。株価の形成に心理が大きく作用する点で、これは重要な真理である。
 投資で成功するための私のルールは、困難さの認識に基づいている。私のアドバイスは、薄弱な根拠や、逆にご大層でよく練られ、慎重に検討され、一見決定的だが一辺倒の思考に飛びつくよりも、結論を可能なかぎり多角的にまた複数の見地から試し、その正しさを検討してみることだ。

 「最も不確実な科学」って表現、いいですね。

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』14 統計的分析、マーケットトレンド、そして大衆心理

14 統計的分析、マーケットトレンド、そして大衆心理

 マーケットでの利益を確保するカギは、全般的なトレンドを察知することにある。いまはデフレか、それともインフレの時期か? もし前者なら、ほとんどの株式は分析しても無駄だ。

 そうなんですよねえ。今はアベノミクス以来インフレ……というには全然不十分ですが、少なくともデフレ脱出の希望ぐらいは抱けるから、今の市場環境なわけです。「株なんて分析しても無駄」と言われる時期も、いつかまた来るのでしょう。

 トレンドを見定め、次にそれに反応する株式を見つけることに注力するベきなのだ。
 価格水準を見定めるよりも、上昇または下降トレンドを追うほうが、利益を上げるうえでより確実だ。特定の株式がいつ「安い」のか、「高い」のか、マーケットの底付近が安く、天井付近が高いという意味では、実は誰にも分からないだろう。例えば、株式は値上がりの初期にはかなり高値に思えることがあり、のちにはるかに高い水準になったとき、新たな事態の展開によって驚くほど安く感じられることがある。そこにルールはない。
 投資家が目を疑うほど株価が安くなったと思ったときに底に達するのを見たし、ほとんどの人が問題の銘柄を空売りのチャンスだと思ったときに、底値がつくのも見た。逆のことが、強気相場の天井に関しても言える。

 「トレンド追うべし、ルールはない」by ジェラルド・ローブ=サン。……とか思わずニンジャスレイヤー口調で脳内再生してしまう容赦のなさ。じゃあどうすりゃいいんですか。まあ天井や底を当てることはできないとは、よく言わけることで仕方ないですけど。

 常に底値で買って天井で売れればよいが、底値や天井を知る手立てはなく、当てずっぽうでは損失がかさむばかりだ。それならば、実際に習得可能で有効な方法に注意を向けるのが、現実的というものだろう。証券市場の方向を決める最大の要素は、大衆心理である。
(中略)
 ときには、ある人気株が世論によって何年も過剰評価を続け、大衆は理論上の評価に対し不当に高い金額を払うことになる。同様に、理論上の過小評価が何年も続くことがある。現在株価を上げている過大評価の株が理論的にショートであったり、過小評価されている株がロングであるという確信を抱いても、自分の資産の助けにはならない。
 投資家は、世の中の傾向を正否にかかわらず探り出し、そこから成果を得るベきである。

 「正否にかかわらず」ってところがミソか。さくらのブロックチェーン相場を逃した時に痛感したことですが、私はまだまだ二次思考ができてない。業績の伴わないような動きも取りにいけるようになれれば、かなりユニバースを広げられると思うのですが……。

 私個人は、マーケットのすべての材料を総合すると市場価格が上昇するか下降するか予想しやすくなるような分析に関心がある。そもそも分析とは、このためにあるベきだ。それをまったく無視した分析作業に何度も出くわしていなければ、私もこんな分かりきったことは言うまい。

 確かに私も出くわしたことあるかも。自分もそうならないように肝に銘じておきます。

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』13 正確なタイミングの重要性

13 正確なタイミングの重要性

 証券を買い付けたとたん、買い手はもはや“決断"を避けることができない。保有するか売るかを決めなくてはならなくなる。こうなると世の常として、正しい結論が下せる割合はどうしても低くなる。そのため賢い投資家は、取引を始めるときよりも終えるときに過ちを犯しやすいと考えるのだ。
 現金しか持っていないときは、条件がすべて整わないかぎり何もしなくてよい。適当な機会が訪れて常識的に買い付けを行うか、長所と短所がきっ抗して何もしないままでいるかの、どちらかなのだ。もし後者を選択した場合、起こり得る最悪の事態は、慎重になりすぎたために機会を逸する程度で、それは災難というほどのものではない。新たな機会は、やがて必ず訪れる。投機と投資に対する心構えを本書の方針に沿って調整していれば、結果的な利益も心の平穏も失うことはない。

 買うことよりも利確が難しいというのはよく言われること。そもそも選択肢が少なく、失うものがただの機会ではない。

 売りのタイミングが買いどきよりも難しいもうひとつの理由は、本当のバーゲン株だけを求める技量が育つにつれて、自信を失いやすくなりがちだからである。過剰投資と自信過剰が蔓延する時期は、本来不景気に突入したあとに起こりやすく、また実際よく起きる。全般的に上向きの景気は、通常非常に悪い状態のあとに続く。ひとたび活発な時期になると、株式は過剰に割高で取引され、その株式を早い時期に底値近くで買った投資家の最も楽観的な期待さえ上回るほど値上がりする。こうなると通常の評価が復活するか、過剰評価の兆候が現れ始めるや否や、自分のポジションが心もとなくなってくる。

 「上がったときは、どこまでいくかわからないから、利益は引っ張れ」というようなことはよく言われますが、成長するにつれ割高を(ある意味正しく)恐れるようになるから、という視点はなかったかも。

 賢い手仕舞いの方法を説明するのに、単純に買いの好機を生む要素の逆だとは説明できない。いつ空売りするかという話なら、そのケースがほぼ当てはまる。しかしここではポジションを建てることではなく、すでに持っているものを処分することが重要なのだ。多くの投資家は、はっきりした空売りにもならないまま、中途半端な買い持ちになってしまっている。

 私もショートを特別な意識なしに実行できるようになろうとしているところですが、利確するのとショートを始めるのは全然違うというのはわかります。

 状況によっては、売却を考えることも必要になる。証券を購入したときに見込まれていた有利な展開が、最初の期待ほどではないかもしれない。株主は売ると損するかもしれないが、この場合に関しては機械的なルールに従うべきである。
 もちろん、どんな方式やシステムに頼るよりも、良識や道理に従い正確な情報をつかむことがすべての投資の成功の基礎をなす。しかし、株価の下落で間違いだと判明した買い持ちから脱するには堅実な方針が必要だ。これは証券を扱う一種の自動的な手続きであり、判断を必要としない唯一のものである。
 損失は常に「処分」しなくてはならない。資金を圧迫し始めるよりもずっと前に切るのだ。この方法で株式を処分したあとは、取引のことは忘れてしまうほうがよい。この経験は今後の検討課題から完全に除外して、すぐにでも後日でも、買いが再び有利になった場合、感情に邪魔されずにより高い水準でもポジションを復活できるようにするためだ。

 いわゆる損切りについても色々議論はありますが、少なくとも短期の投機については、この記述にもあるような機械的損切りに賛成です。

 もちろん条件次第では機械的にしなくてもよい・しない方がいいこともあるでしょうが、守破離の守として、一度は機械的にできるようになってから考えた方がいいと思います。

 「損失を減らすことは常に正しい」。これは、自信を持って教えられるマーケットの唯一の原則である。算数の問題であれば、どの小学生でも方程式を学ぶことができる。しかしこの原則を実際に応用するとなれば、人間の弱さを完全に超越しなくてはならず、それはめったに実現できることではない。
 人は儲けを好み、損失を嫌う。また、いったん売却したものを、より高い値で買い戻すことにも抵抗がある。人間の好き嫌いが、どんな投資プログラムも頓挫させてしまうのだ。失敗を避けたいのであれば、論理、理性、情報、そして経験のみに耳を傾けることである。

 AIが短期投資に強いのも、速さや疲れないことに加え、そもそも心理的な弱点を持たないことも原因なのでしょう。人間が行動経済学的弱点を克服するのはなかなか困難です。訓練で克服したり、うまく誤魔化して折り合いをつける方法を見つけたりすることが必要です。

 もし半年から一年で投資額を二倍にすることができれば、投資家は(次の好機が訪れるまで)長期間安心して現金を寝かせておくことができる。連続して全額投資しているとすれば、最終結果を世の中の平均的な低さ――しばしば純損失になるまで減らしてしまうこともない。
 投資に回さない資金をいつも手元に置き、思いがけない好機に備えることが得策である。そうでなければ、好機に出合ったときに資金が足りず、すでに保有している証券の売却を余儀なくされることになる。

 この記述を意識してやったわけではないですが、今思えば、2014年のミクシィで倍にしたあと、心理的ブレーキを引いていたおかげで、2015年8月のチャイナショックであまりダメージを受けずに済んだのかも。

 株式が、買える範囲内にあると確信できれば、初めに小さな買い付けをする。もし株価が下がれば、早めに損切りする。もし値上がりし、最初の買いを促した理由が引き続き有利な場合は、買い手がまだ十分に安いと思う値段でなら、さらに買い足してもよい。しかし株価が正常か、過大評価と目されるレベルまで達したときは、持ち株は相場が上がるにつれて徐々に処分していくベきである。

 簡潔にして明快ですね。

 損切りと買い乗せについては、こちらの話も参照。

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』12 何をいつ買うべきか

12 何をいつ買うべきか

 実際の投資では、妥協は必要である。理想的な投資を行う条件が一度にすべてそろうことはない。たとえそのような機会があったにしても、その到来をすべて知るのは不可能に近い。
(中略)
 第一に、背景が総じて有利であること、つまり地合いが弱気で証券市場の流動性が高いことである。景気はすぐれず、またはやがて不況になることが予測される。
(中略)
 株価は、会社の経営状況が悪い、まもなく悪化する、または今後も改善の見込みがないなど、大方の見方を反映した値段のものがよい。同時に、買い手はこういった表面的な状況とは逆の意見を持ち、しかもその意見は確かな判断と信頼できる情報源によって裏打ちされていなくてはならない。

 繰り返しですが、この本の短期はあくまで投機の意味であり、長期の逆張り的思考もちゃんとあるということ。

 地合い、期待、意見――それらの証券価格への影響――を吟味することの重要性は、いくら強調してもしきれないほどである。買いの好機は、実際に本物の景気後退がなくても訪れることがよくある。そんなときは、不況の懸念があるのだ。利益と配当金は正常だが、一方で先行きへのいわれない不安が募り、価格が本来なら赤字を表すような水準まで下がると、問題の株はたいへん魅力的になる。逆に、有望な見通しが期待されるときは、たとえ会社の業績が正常よりもかなり低かったとしても、株には投機的に高値がつくことがある。
 このように買いの決定要素は価格に対してディスカウントされた利益であり、必ずしもその時点の実際の利益水準 ではない。

 強調部(強調自体は元からある)は、「価格で」割り引かれた利益、の方が日本語としては自然な気がしますね。文脈的に誤解はありえなさそうですが。

 目的は常に、多数派が投機的と考えるものを買い、同じく多数派が投資に値するレベルに達したと思うときに売ることだ。この方針にこそ、安全と利益がある。まず考慮するベきは株価であり、企業のタイプや特徴などはその次でいい。

 うーん、やっぱりマウントゴックス破綻の時にビットコイン買っとけばよかったか……。(くどい)

 販売される製品やサービスは、あまり一般に需要の高いものでないほうがいい。なぜなら、そうなると政治的介入のターゲットになるからだ。

 ここは当時と現在では、政治の印象が少し違いそうなところですね。こういう意味で政府が経済に介入することはあまりなくなっているでしょう。あえて言えば、近年で一番近いのは総務省の「0円スマホ禁止」騒動でしょうか。

 理想的な投資対象は、購買心をそそるほどの安値ではそうそう見つからない。

 欲しいと思う株は安いと思う値段では買わせてくれないもの。バフェットの「まともな企業を素晴らしい安値で買おうとするよりも、素晴らしい企業をまともな価格で買うほうがいい」というのもそうか。

 いまは投資信託が目をつけていないが、のちに値上がりしたときには関心を示し、ポートフォリオに加えるような企業が望ましい。

 個人投資家の小型株投資のひとつの理想は、VC(ベンチャーキャピタル)から買って機関投資家に売ることだ、というようなことが言われますね。

タカタ株と『瓶の妖鬼』

 7312 タカタで思い出した、というか倒産株を見る度に連想する話がある。『ジキル博士とハイド氏』が超有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンの『瓶の妖鬼』である。

 悪魔の入っている茶色い小瓶がある。悪魔が叶えてくれそうな願いなら、何でも叶えてくれる。

 不老不死とか神になりたいとかは流石に無理でも、金とか権力とか恋愛とか一時の健康とか、ほぼなんでもあり。ただし、これを持ったまま死ぬと地獄行きとなり、永遠の責め苦が待っている。

 ポイントは入手する方法と手放す方法で、次の持ち主が、メリットとデメリットをちゃんと理解し納得した上で、前の持ち主から買わなければならない。しかも、前の持ち主が買った時の値段より安い値段で。

 つまり、持ち主以外が単に拾ったり盗んだり強奪したりしても、願いは叶わない。持ち主が単に捨てるとかしても、いつの間にか戻ってくる。冗談のふりをして騙すとかも不可。

 0円で売ることは不可能だから、1円では誰も買わないのは自明だ。よって、2円で買う人が誰もいないのも明白だ。だから、3円で買う人がいないのも明らかだ。従って、4円では誰も買わないのも誰だってわかる。つまり5円では……あれ?

 そうなのだ。論理的には、いくらだって買えるはずも売れるはずもないのだ。しかし、このような小瓶が実在すれば、私なら10円ぐらいまでなら喜んで買うだろうと思う。

 自分より下の値段で買う非論理的な人間が、ひとりでもいれば自分は助かるからだ。そう思えさえすれば論理的な(はずの)人間でも買えてしまう。実際には世界に非論理的な人間が誰もいなくてもである。

 相手が自分より馬鹿だと思う過程がフィードバックループすることによって、ひとりひとりは賢くても、全員が大馬鹿のように行動してしまうという点で、

 の話にも共通するところがある。

 1円まで落ちていく倒産株を使ったマネーゲームに参加するなら、こういう過程が起きているのだと意識しておく必要はあるだろう。

 ……といっても最近のスカイマークなど、実際に1円まで落ちないようなこともあるみたいだが。

2017年6月成績+14.3%(年初来+25.3%)

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2017年6月成績と総評

総資産 前月比 年初来
100,308,699円 +14.3% +25.3%

 市場にハゲの輝く瞬間……だっけ?(絶対違)

6月ハイライト

4235 第一化成急上昇

 先月「この2銘柄がまた本格的に上昇し始めるまで先は長そうだ。」と書いたばかりだが、予想大外れ。四季報夏号の予想数字が良いというのを、おそらくは直接の材料として、急速な上げ基調。

 夏号では(誌面には載ってないものの四季報プレミアムのデータ更新により)五味大輔氏が(3月時点で)大株主11位になっている、というサプライズでイナゴ買いも集まって、一時2900越えまである。

 イナゴ分はすぐ丸々ハゲたし、月末までにかなり戻してしまったものの、元から持ってた長期現物分(保有継続)と、史上最高値ブレイクで追撃した短期信用分(利確済)が両方寄与して、かなりの利益。単月割合で+10%越えなんてモンストの時(2014年5-7月)以来のはず。

プロジェクトなまはげ

 22日の第一化成株主総会にも行って亀吉師匠と初顔合わせ。株オフと言えるものはこの日以来人生2度目か。ちなみに無粋ながら暗号名の由来は、ハゲポートフォリオ銘柄の株主総会≒ライブ(生)で(ハゲた)社長を見られる機会、であることから。

6200 インソース停滞

 2度目の立会外分売で、今度は100株だけ当たった、正直ウェイト的にほとんど意味はないが、これで実際の仕組みを経験して理解した。いろいろIR出しているものの株価は停滞中。そろそろあるはずの昇格で上がるのか、それとも織り込みすぎで一度出尽くしとなるのか。どっちだ?

2678 アスクルショートでヒヤリハット

 16日頃Amazon Business(アマゾンビジネス)が日本上陸するとかのニュース。今年はショートを普通にできるようになると言っといて一度もやってないのを思い出して売る。2日後ぐらいになんとなく超微益で閉じる。20日に業績修正とレーティングとかで急上昇。危なかった。

2121 ミクシィショート

 でも懲りずに、ミクシィをショートしてみる。ファイトリーグも大コケ確定っぽいのに、テンセントモンスト期待がまだあった頃より高いって、なんぼ地合がよくてもおかしいやろ。ショートはまだよちよち歩きの自覚はあるので、そんなにウェイトはかけてない。

その他

 日経2万円・7312 タカタ倒産・3284 フージャースもといフージャーさん復活即引退・まつうらじゅん氏の消息発見・優待クロス急遽実行、となんだかんだで色々あった気がする。濃い一ヶ月だった。

主要ポジション(ウェイト順)

  1. 4235 第一化成
  2. 6200 インソース
  3. AMZN アマゾンドットコム
  4. 2121 ミクシィ(ショート)

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』11 金融に関する良い情報、悪い情報

11 金融に関する良い情報、悪い情報

 適者生存の法則により「タダ乗り」はやがて排除されることになる。
 ただし、なかには本当に助言を求めている人々もいる。彼らは目標達成に真剣で、助言には相応の報酬を払う。それは必ずしもお金ではなく、誠実なアドバイザーに対する信頼、判断に従う勇気、避けがたい過ちが起きたときの忠誠心を持って報いている。

 他人からの情報だけで儲かるという意味でのフリーライダーが自然と排除されるのは今でも変わりません。しかし現在では、有料情報は最初からスパッと検討から外してしまってよいと思います。

 現代はそもそも情報過多であり、問題は情報がないことではなく、良い情報とノイズまたは悪意ある情報を見分ける能力です。それがあるなら、無料でも良い情報が溢れているので十分ですし、それがないなら、たとえ有料情報であっても無意味です。

 むしろ、有料情報は、商売上のしがらみや、売らんかなのインセンティブの分だけ、無料情報よりも質が劣ることになりがちです。ここでいう「必ずしもお金ではなく」の諸観点から無料情報(源)を選別していくのがベストと思います。

 以前も一度ポイントしたことがあると思いますが、こちらの記事も参照。

 なお、ここでいう「有料」は単にお金がかかるというより「高額」の意味です。「無料」も、ゼロ円のみでなく、「安価」ないしは(たとえば一般書籍なども含む)常識的な額という意味です。

 マーケットで儲ける方法について適切な助言をくれる熟練したアドバイザーを見つけることは可能だが、私の意見では、こちら側が前もってピックアップした個々の証券について、常に同じように価値ある意見を得ることは絶対に不可能だ。尋ねたことに対する回答に比ベて、自発的な意見のほうが優れているということである。
 ちょっと考えれば分かることだが、自分の専門分野で、時間と手間をかけて人を利益に導くのは比較的たやすい。しかしいついかなるときも、求められた問いかけに対して価値ある情報や意見をすぐに与えられるというのは、まったく別の話なのである。そのため、あらゆるものについて何でも提供してくれる情報源には用心したほうがいい。

 なんでも答えてくれるアドバイザーは、口から出任せ言ってるだけの可能性が高いと。数打ちゃ当たるで山ほどの予測をして、当たったものだけ吹聴するのは、偽予言者の常套手段ですね。

ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』9 証券プログラムの「してはならないこと」

9 証券プログラムの「してはならないこと」

 実践的な基本方針としては、選択した株式が見込み大でないかぎり、けっして投資してはならないということだ。単に「インカム」のための投資、「資本を運用しておくため」の投資、そして「インフレに対するヘッジ」としての投資は、完全に問題外である。

 ここも「投機」しなければならない、という大原則の繰り返し。

 これらの方針のもとでは、よく吟味したうえで儲けの可能性が大きく、明らかなリスクをもしのぐと判断される場合を除いて、どんな種類の証券も、いかなる立場でも買ったり保有したりするベきではない。リスクについては、詳細な検討が必要だ。

 「いかなる立場でも」というのはかなり強硬に感じますが、経験上も、分散しておこうとか、ただ買っておこう、という意識で買ったもので、大きな損失を出したことはあっても、大きな利益を得たことはないですね。

 投資を行う際には、単一の条件に全資金のかなりの部分を投下したとしてもリスクに見合うと思えるほど、公算が大きくなくてはならない。それと同時に、全資本からほどほどの割合を投資する場合でも、資金すベてで目標のリターンを達成できるほど潜在利益が大きくなくてはならない。

 これもよく考えるとすごい条件。やはり倍になると思えるぐらいの案件でないと検討に値しないということになりそう。

 別の表現に置き換えると、いったん十分な力を備えたら、分散投資は望ましくないということだ。ひとつか二つ、多くても三つか四つの証券にとどめておくベきだろう。資本の大部分をリスクにさらす必要をなくすため、銘柄は厳選され、買うタイミングもぴったりで、利益の可能性の非常に高いものであるベきだ。
 このポリシーに従えば、可能なかぎりベストのタイミングで最良の株だけを扱うことになる。こうすれば二つの方法でリスクを軽減できる。まず選択時に慎重になること、そして高額の現金の蓄えを置いておくことである。最少の株式に集中投資することによって、選択にかける十分な時間が確保でき、重要な部分のすべてを把握することができるのだ。

 主力のポジションは「ひとつか二つ、多くても三つか四つ」という原則は守ろうと思います。自分の場合は、見られる時間が少ないという制約から、自然とそのようにはなっていましたが。

 この方針は、分散投資を避けるばかりでなく、ときに資本を使わずに長期間保有することも含んでいる。損失の発生する平凡な投資を、利益を生み育てる特権階級に昇格させるには、割安株を探し出さなければならない。だが、それはやたらに見つかるものではない。安値のチャンスは主に、大多数の証券バイヤーが恐れて手を出さないときに必然的に訪れることも知っておくといい。
 その一方で、証券が全般的に人気で熱心に買われるときは、おのずとチャンスはなくなる。過剰投資と自信過剰という二つの「過剰」が幅を利かせる時期、優秀な投資家が自分の資本を遊ばせておくのは当然のことである。利益と収入が容易に得られそうだと侮っていると、ときに手痛い仕打ちを受けることになる。

 短期投資を推奨するこの本ですが、当然ながら長期の逆張り的な思考もないわけではないということ。ちなみにこの部分、安値が危険ということになっている明らかな誤訳があったので、原文を確認の上、2箇所だけ修正してあります。

 投資の戦いに生き残るための重要な概念は、投資家は現在より最終結果を見据えた考え方をしなくてはならないということである。個々の株や、あるグループの株の動きから、含み益を100%実現益に置き換えるのは不可能だ。そのような試みは、おのずと投資プログラム全体の破綻につながる。分別ある投資により、良い年や悪い年を通じて断続的でもそこそこの平均利益を上げることができれば、それは大した成績といえるのだ。
 ここでの議論は一見かなり投機的に思えるかもしれないが、実践ではほとんどの投資家が従っている方針に比べて、はるかに穏当で安全なものである。

 "Last Man Standing"というか、このあたりも長期的な思考そのものの気がしますね。この本の「短期」はあくまで考えずに放置することの反対(≒投機)と割り切って、「短期」と「長期」を対立するものと考えない方がよいかと。

30代日本人男性兼業個人投資家。日々勉強中です。
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